-るのです。同じように言葉も、心に残像のようなものを作り、その残像が消える前に次の単語が来ることによって、ひとつらなりの文章として理解されるのかもしれません。もしそうなら、直前の文章の記憶(残像)が残っているうちにほかの文章が入力されることが文章の理解を促すので、ゆっくり読みすぎると逆に理解が妨げられるのではないか、と彼は指摘しました。これは私の実感にも近いです。この文章が作り出す残像のようなものを彼は「修辞的残像」と呼びました。 +るのです。言葉も同じように、心に残像を作り、残像が消える前に次の言葉が来ることで、ひとつらなりの文章として理解されるのではないか、ゆっくり読みすぎると逆に理解が妨げられるのではないか、と彼は指摘しました。この、言葉が作り出す残像を彼は「修辞的残像」と呼びました。残像が消える前に別の本を読むと、複数の本の間につながりを発見することが促されるのです。 - 結合とは、複数の本だけで起こるものではありません。たとえば今、あなたが何か解決すべき問題を抱えているとしましょう。解決策はどうやって探せばよいでしょうか。何を探したらよいかわからないと、探すためのキーワードもわかりません。本を読んでいて、何かが予期せず目に入ったあとで、初めて「これが求めていたものだ」と気付くのです。あなたの問題意識と、本の中の知識が、予期せずつながって問題解決という価値を生むのです。 + 結合は、複数の本の間にだけ起こるのではありません。たとえば今、あなたが何か解決すべき問題を抱えているとしましょう。解決策を見つけたいですが何を探しせばよいのか、探すためのキーワードもわかりません。本を読んで、何かを見て、初めて「これが求めていたものだ」と気付きます。あなたの問題意識と、本の中の知識が、予期せず結合して問題解決という価値を生むのです。この結合については167ページのコラム「知識の整合性」も強く関係しています。 -たとえば私の妻は経営学大学院の授業で議論をしているときに「ここまでだったら損だけど、ここから先は得だ、というようなラインがあるはずだ」と考えたのですが、それを表現する言葉を持っていなくてもどかしい思いをしたそうです。そのうまく表現できない考えを説明したところ「ああ、それは『損益分岐点』だね」と言われ、新しい言葉を手に入れました。名前がわかると、それについて検索できるようになり、関連した知識を入手しやす +たとえば私の妻は経営学大学院で議論をしているときに「ここまでは損だけど、ここからは得だ、というラインがあるはずだ」と考えたのですが、それを表現する言葉を知らず、もどかしい思いをしたそうです。後に、そのことを友達に説明したところ「ああ、それは『損益分岐点』だね」と言われ、新しい言葉を手に入れました。概念の名前がわかると、その概念の検索ができるので、関連知識を入手しやす